「ミステリと言う勿れ」はミステリか? 感情と主観で推理する、変わり者大学生の事件簿
ここしばらく、各所で噂を聞くようになった漫画「ミステリと言う勿れ」。
月刊フラワーズで連載中で、作者は「7SEEDS」や「BASARA」で著名な田村由美氏の新作です。
「このマンガがすごい!2019オンナ編」2位受賞、「マンガ大賞2019」2位受賞などで、一気に有名になりました。
タイトルを見た瞬間「妙なタイトルのミステリだな…」と思った人も多いはず。
作品の概要を簡単に説明すると「変わり者の大学生が、事件に巻き込まれ、優れた記憶力や洞察力、推理力を駆使して問題を解決する話」。
これを聞いて「言う勿れ、といいつつやっぱりミステリなんだな」と思う人も、きっとかなりの数いるはず。
はい、自分がまさにそうでした。
でも読んでみると…これ、ミステリか?ミステリじゃない…ような。
じゃあなんだ?
当記事はネタバレなしの感想・考察です。
未読の人にも向けた内容ですが、書籍紹介程度のあらすじや内容にも触れています。
「ミステリと言う勿れ」はミステリか
ミステリには謎があり答えを推理する
そもそもミステリとか推理ものと呼ばれる創作には、決まり事があると言われています。
例えば、
- 犯人は登場人物の中にいなければいけない
- 推理の材料はすべて作中に公開されていなければいけない
- 偶然や第六感で事件を解決してはいけない
などなど。
ただ、「ミステリ」の条件や解釈は人によって様々です。
部分的にミステリ風のルールを使ってるけど全体をそう書いてる(書きたい)わけではない作品もあります。
またはその逆の作品(部分的にルールを外したミステリ)もありますし、決まり事を逆手に取った作品もある。
実に色々な使われ方をしています。
自分は別にそこまで作品の分類を気にしない派です。
でも、こういう「決まり事」を知り、それに作者や作品がどんな対応をしているのかみるのは面白いです。
そういうところに、「作者が何を書きたいのか」「読者に何を読ませようとしているのか」が見えるような気がします。
目を凝らすことで何か見えるんじゃないか、と期待するようなものですね!
とまあ形のあるようでないような「ミステリ」ですが、いちばんシンプルなミステリの基本、なんだと思いますか?
綿々は「謎は解くことができる」という読者と作品の間の約束、共通理解だと思うんです。
ミステリには謎がある。
そして謎には答えがあり、答えを知ることができる。
「真実はいつもひとつ!」っていう有名なアレ。
コナンくん*1の決め台詞ですね。
その「たったひとつの正解」がどこかにあり、登場人物や読者があーでもないこーでもないと考える。
その頭を巡らせる面白さや楽しみを、ざっくりと「ミステリの醍醐味」と言うんだと思っています。
整の興味の対象は事実でなく真実
ですが、「ミステリと言う勿れ」の主人公であり探偵役、久能 整(くのう ととのう)は第一話でこう言います。
「真実は一つじゃない 2つや3つでもない 真実は人の数だけあるんですよ」*2
AとBという人がいて、その間で事件が起こったとき。
その事件をAの主観を通して見たAにとっての真実と、Bの主観を通したBにとっての真実は、違うもの。
現実に起こった「事実」はたったひとつでも、「真実」は人の数だけある。
これが整の考えです。
ミステリと呼ばれる作品で置かれる謎、解かれる謎は「事実」の部分です。
本作中でも、警察や登場人物が奔走し、隠されていた「事実」を明らかにするシーンがあります。
でも、整の興味はそこにない。
爆弾設置犯と会話していても、整にとって気になるのは「どこに爆弾を置いたか」ではなく「なぜ爆弾を置いたか」。
いま話している相手の感情、考え、ものの見方。
それらの根っこにある、過去に何を感じ、考え、見てきたのかという、相手の人生。
整には、謎の現実的な解決よりもそれらのほうが気になる。
整くんのこの性格は、一般的に見て「付き合いづらい変人」と思われるのもわかる気がします・笑
登場人物ごとに主観があり、感情がある。そこを解くミステリ
整は作中で次々と事件に巻き込まれ、幾人もの事件関係者と関わっていきます。
そして、その大量の登場人物たちはそれぞれの人生観や人間観を持っています。
整が関わる事件は、「事実」が明らかになり事件として解決しても、「真実」ははっきりせず藪の中、ということも多いです。
「事実」の明らかになる過程も、本格的な推理ものほど重きをおいていません。
画面に描かれる情報や、登場人物の考えが、誰かの主観の中で歪んでいたりもします。
犯人は捕まったけれど、彼の主観の中の真実はなんだったのか。
本作には、人の感情という謎があり、それの答えを、主人公と読者が探る作品です。
必ずしも答えが明らかになるとは限らない。
「たったひとつの正答」には行き着けない。
ただ、「誰かが何かを感じてそうした、それは何か」という謎と、感情という答えがあることだけは確か。
その「謎と答えがあること」は作品として約束されている...現実のヒトもそうだから。
そういう意味で、本作は「ミステリと言う勿れ」というタイトルながら、やっぱりミステリなんだと思います。
推理と正解を楽しむミステリのように、真実はひとつじゃないけど。
推理ものの作品を読むときって、「何かあるはずだ、見つけてやるぞ!」って読み方になりませんか?
無意識でも、論理立てた解答までは見つける気がなくても、多くの人がそういう読み方になると思うんです。
日常の、人と人との会話でも、そういう「読み方」をしてしまう整の思考。
普通に暮らしている現代世界も、謎と答えがあるミステリなんです、という呟きが聞こえてきそうです。
これから読む人におすすめするポイント
視点が変わるのに、なんだか納得できる? 整の語り
本作の主人公、整(ととのう)くんは、友達も彼女もいないのに喋るのが好きという変人学生。
会話するというより語るタイプという感じ。
時と場合と相手に構わず、彼の「常々思っていること」がひたすら語られます。
「常々思っていること」には、今の世の中のヘンなところ、ギモンなことへの意見も多々。
それが、ちょっと面白い。
「言われてみればそのとおりだ」「そういう考え方もあるはずだ」と思わず感じてしまうんですよね。
誰も言わないような、でも正しい意見を語りまくる主人公...
とだけ聞くと、正論でぶん殴るタイプ?と誤解してしまいそうですが、整のぽつぽつとした呟きはそうじゃない。
目からウロコが落ちるような気分と、すっと腑に落ちる感覚が両立している。
はーなるほど...と素直に思える。
それはきっと、整の「常々思っていること」が、私達も漠然と感じている「本質」だから。
綿々が興味深いと思った話は、特にこのふたつ。
- 男性中心の職場で苦労している若い女性を見て思ったこと
- いじめの被害者への「逃げてもいい」というメッセージに思うこと
これらに対する、整の「鋭い意見」は、ぜひ本作を読んで確かめてみてください。
整の薀蓄や意見は「そうくるかー」と思ったあと、誰かにちょっと話したくなります。笑
穏やかにぽつぽつと、雨が地面に染み込むように降ってくる、整の優しい語りもクセになります。
整の伏せられた背景を、読者が推理する
人並み外れた、優れた洞察力や推理力をもつ整。
ですが、彼自身もまた、彼の人生経験からくる主観に囚われています。
本質を突くような視点を持っていても、それは彼の主観から見たもの、彼の立場からの意見。
(本人も自覚しているようですが)
彼は、理屈と現実性を重んじる大人ではなく、どちらかというと感性の人。
繊細で感受性が豊かすぎて、人の心に入り込んで眺める癖が治らない。
整の論理的で優れた頭脳と、子供のような感性の対比は、けっこう強調して描かれているように思います。
そこを指摘してきたのが、2つ目の事件でできた、初めての友人。
人の心を観察する整を、さらに観察している彼。
その構図、ベクトルの変化が、物語を少しずつ動かしていきそうです。
巻数が進むごとに、整自身のことが少しずつ明らかになっていきます。
整には目指すものがあるけど、それに到達するには彼もまだまだ幼く、足りない。
彼の過去や背景は未だほとんど伏せられていますが、言動の端々から、読者は推察するヒントを得ていきます。
整が、出会った人に寄り添って主観的人生・感情を推理する。
それと同じように、読者もまた整に寄り添って、その人生や感情を推理する。
そういう、感覚的で感情的なミステリなのかもしれません。
以上、「ミステリと言う勿れ」の、ネタバレなし感想・考察でした。